February 20, 2006

「アトミック・ビーチで抱きしめて」+「八方天」(ダウンロードHybrid版)

 「アトミック・ビーチで抱きしめて」




 「八方天」




"猫の本屋さん"でも同タイトルを購入可能。「アトミック・ビーチで抱きしめて」「八方天」


著 者:浮世絵太郎
価 格:「アトミック・ビーチで抱きしめて」400円(税込)/「八方天」300円(税込)

■そろそろ人々の記憶からも薄れはじめ、忘れかけているのではないかと思う20世紀のふたつの事件・事故。ひとつは某新興宗教団体が起こしたテロ事件、もうひとつはJCO事故に代表される原発関連施設の事故だ。
今回取上げる本作は、このふたつの惨事を題材に書かれた作品である。しかし、作品はけっして重苦しく読み難いものではない。清水義範のファンだという作者だけに、むしろ軽快で、面白い。
「浮世絵太郎」作品の入門書として、オススメの2冊だ。


 『アトミック・ビーチで抱きしめて』

■なんともおかしな小説である。
「おかしな」とは、この場合「面白い」と「変な」が混ざったような意味。この小説は一言で言えば「反原発ファンタジー」とでも呼ぶべきものなのなのだが一般の雑誌に掲載するような小説であれば、「ファンタジーに反原発を盛り込もう」というアイデアが浮かんだ瞬間、ボツになること間違いなしと言える。したがって、この小説が実際に創作され、対価を払いさえすれば誰でも自由に読めるという状況はまさに電子出版ならではの現実であろう。
 しかしながら、それはこの作品が雑誌に掲載される価値のないつまらない作品であるなどということではなく、また、電子出版が市場価値のない作品ばかりを流通させているなどということでもないのはもちろんだ。
 つまり、世の中には「実験作品」としか呼びようのない文学作品も多く存在しており、それらの多くは、「タレント本」や「ベストセラー」のように売れる保証がないために普通の書店には流通しない。そして、おそらく、この作品も「実験作品」の一つだというだけのことである。「変な」と評したのはそういった意味である。
「実験作品」の多くはその実験精神ゆえに、著者の主張や仕掛けやが空回りして、結果として一人よがりのつまらない作品になっている例が多いのだが、この作品は見事にその点をクリアしていると言える。それは、ストーリーの構成や表現よりも、言葉遊びやユーモアのセンスに負っているところが大きい。そしてそれこそが、この作品の最大の魅力でもある。ただ、注釈を読まないと元ネタがわからないギャグが多いという点で、ある程度ではあるが読者を選んでしまうところがあるかもしれないけれど(笑)。
 ストーリーの点について言えば、前半は主人公(主な登場人物の名前は、ある漫画のパロディになっている)のモノローグに付き合わされ少々退屈なのだが、後半からテンポが良くなり嘘のようにずっと面白くなる。前半にこのテンポの良さが見られないのは少々残念なところだ。ほろりとさせられるシーンもあり、前半のやや暗い作品の印象を拭い去るように読後感は非常に爽やかだ。

 本作品は、作者である浮世絵太郎氏の長編第一弾とのことなので、おそらく気負って、多くのテーマを盛り込もうとしたのかも知れない。その後の作品ではテーマをより絞りこんでおり、結果として、作品としてのまとまりは良くなっているが、反面、この作品に見られるような破天荒さは見られない。
一般に破天荒であることは稚拙であり、良くないことのように思われがちだが、ある種のエンターテインメントにおいては破天荒さも作品を盛り上げる魅力の一つなのだ。例えば、石ノ森章太郎(ご存じでない方のために説明すると『仮面ライダー』の原作者だ)の1970 年代の作品で『番長惑星』という漫画がある。これは当時流行だった、UFOや超能力、異次元、超古代文明などのオカルト・テーマを手当たり次第に盛り込んだSF作品で、次から次にハチャメチャなストーリーが展開していく。1980年代以降、石ノ森氏は自身の作風が長編向きではないと判断したのか、1話完結で完成度の高い作品ばかり描くようになり、このような作品は読めなくなってしまった。
今、この作品を読み返せば、そのストーリーや構成の稚拙さより、読者を楽しませようとする過剰なまでのサービス精神と作品にかける作者の情熱をストレートに感じることができる。これは、『アトミック...』を読んだときにもそのまま感じられるものだ。

 『番長惑星』の主人公は最終回で、また新たな戦いに向かっていくことになるが、その後の戦いが描かれることはなかった。浮世絵氏には『アトミック...』の主人公二人のその後の「破天荒」な「新たな戦い」を是非書いていただきたいと思う。


 『八方天』

■宗教を題材にした小説は多い。古くは芥川龍之介の『邪宗門』。新しいところではビートたけしの『教祖誕生』、中島らもの『ガダラの豚』などなど。
探せばもっともっとあるだろう。宗教(特に新興宗教)と言うのは作家にとって魅力的なテーマなのだと思う。この『八方天』という作品もまた八方天教団という(おそらくは)架空の新興宗教団体の成立と崩壊をめぐる物語である。
 しかし、この作品が非常にユニークな点は、この八方天教団(というより、その教祖である青年)が、世にあまた存在する金集めを目的とした「インチキ宗教」を批判する存在として描かれている点にある。
新興宗教のインチキを暴くというストーリーは面白く、ケレン味もあるし読者を掴みやすいだろう。(上で述べた小説はいずれもそういった内容のものだし、仲間由紀絵演じるマジシャンが阿部寛の大学教授と組んでインチキ宗教の奇跡のトリックを暴くというドラマもあった)しかし、作者の浮世絵氏はそのようなストーリーをあえて物語の中心に据えなかった。それはなぜか。
 人間には「何かを信じる力」(それは、特定の宗教でなくてもいい)が必要だから。人間は何も信じることなしに生きて行けるほど強い存在ではないから。そして、既存の宗教では救済が得られない人々が新興宗教に流れ込んでいるという事実。

 それゆえに、作者は既存の宗教でもなく金集めの宗教でもない、理想の宗教を読者に提示しなくてはならなくなったのだ。普通の小説の書き手であれば、そんな面倒なことはしないだろう。その大問題に対して逃げることなく、真正面から真面目に取り組んでしまうのが浮世絵氏の凄いところだ。
(地下鉄サリン事件の被害者達をルポルタージュした村上春樹氏も、オウム・バスターの江川紹子氏さえ、そんなことはしなかったのだ)
なぜなら、みんなを救える正しい宗教などというものを唱えれば、今度は自分自身が教祖になってしまうという矛盾が生じるのである。その矛盾を解消するため浮世絵氏は作品にある仕掛けをしているが、これが結果としてこの作品に小品とは思えぬ深みを与えることになった。

 理想の宗教とは何か、その問いに対して浮世絵氏がわれわれに示してくれた一つの可能性が「八方天教」である。この宗教は(おそらく)架空の宗教だが、決して、マヤカシでもインチキでもないのである。
(文/成田屋古漫堂主人 成田正延)


●成田正延 1965年横浜生れ。
小学生のころからB級なモノが好きな変なコドモだったが、大学時代に夢野久作のドグラマグラを読み戦前のアヤシゲな探偵小説、空想科学小説、怪奇小説、冒険小説などの魅力にはまってしまう。
現在は、成田屋古漫堂主人として、海野十三ほか著者の電子本復刻を手がける。
屋号の成田屋古漫堂の「古漫堂」は古い時代の浪漫を現代に甦らせるという意味とパソコン用語の「コマンド」の両方をかけている。

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Posted by dearbk at 00:53:23 | from category: 電子本紹介-ダウンロード版- | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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